写道家 朔丸

起業家紹介【写道家 朔丸 写真家 佐久間康浩さん】

 パッと見、今風の芸術家のような風貌いでたちで現れた佐久間さんから、「昨年5月末までは歯科技工士として入れ歯や差し歯を作っていたんですよ。」とお聞きして、せっかく組み立てていたインタビューの進行が、大きく崩れました。


 「写真で、思ったことを表現してみたいと思ったのは震災後です。震災後紹介される福島県の写真は、爆発した原発や津波の跡、更には地震で崩壊した建物や地割れなど。そんな写真ばかり見せられるうちに、自分が生まれ育った福島県には、まだまだきれいなところがある、福島県はもっと美しいところだ。という思いが込み上げて来て、ならば自分で撮ってやろうと思いました。」



写道家 朔丸



写道家 朔丸  何となく、カメラが欲しいと思い25歳から始めていた500円玉貯金。32歳になって開けてみたら80万円近くあり、直ぐにカメラ購入に走ったそうです。以来、歯科技工士の仕事の合間に県内を走り回って、主に風景写真を撮りためていきました。
 そんな中で2014年福島大学の仲介で、ドイツのルール大学で、個展を開いていただきました。翌年2015年には、浅草でも開催し、それなりの評価をいただくことができました。
 自分の作品を多くの方に見ていただく機会を得て、それまで漠然としていたカメラへの思いが一気に込み上げ、気がつけば2015年5月末に歯科技工士として働いていた会社を辞め、6月1日からカメラマン専業となったそうです。



写道家 朔丸 「家を新築し、車は買ったばかり。貯金は無く、妻と子供がいて、先のことを考えれば無謀なのでしょうけど、そうしか考えられなかった。」と明るく振り返る佐久間さん。

スタジオを持っているわけでもなく、専属契約があるわけでもなく、とりあえずこれまでとりためた写真をネットに公開してみたところ、ネットからの問い合わせや購入の依頼があり、フェイスブック上の賞もいただき、何とか生活もできるようになったそうです。

「迷ったら面白い方に進む。やりたいことを、信念を持ってやり続ければ、夢はかなう。ネットの時代と、ちょうどうまく重なったのかな。」これまでの人生を明るく語る佐久間さん、その後も「風とロック」「オハラブレイク」などのオフィシャルカメラの仕事が入ってきたり、地元のプロバスケットボールチーム、ファイアーボンズのスポンサーの仕事が入ったり、「写真で食べていく」という最低限はクリアできたようです。



写道家 朔丸  写真と広告の発信の仕方を工夫すれば、いろいろな媒体に使えるのではないかと考えた佐久間さんは、現在は、「働く人にフォーカスする」をテーマに、様々な業種に提案をし、仕事をクリエイトしています。
「今やっているのは、新築中の家で建築に携わる人の写真を撮り、それを建主さんにライブで発信する、自分では『ライブコマーシャルフォトサービス』と呼んでいる方式です。建主さんに喜んでいただけるのと同時に、職人さんのカッコいい写真を撮ってあげて家庭に持って帰っていただいたところ、家族に『お父さんカッコいい』と、晩酌のビールが一本増えた」なんて嬉しい話も聞きました。」

写真をベースに、SNSや従来の紙媒体を使い、新しい写真の活用の仕方を企業に提案しているそうです。



写道家 朔丸 「働く人にフォーカスすることによって、働く姿のかっこよさに改めて気づいていただければ、リクルートにも役立ちますし、何より働く人がプライドを持つことができ、それにより現場も活気づく。そのきっかけを写真は作れるのです。」

自分で、「写道家」と名乗っている哲学は、この辺にあるようです。
写真を撮るヒントをお聞きしたところ、

「カメラの性能が向上し、誰でもある程度良い写真が撮れる時代、写真を専門に勉強した訳でもない私が写真で生きていくためには、どれだけの思いを写真に乗せられるかが大切です。思いが乗っているなら、スマホの写真でも良い写真ですよ。」
と明快にお答えいただきました。



写道家 朔丸 これからの仕事の目標をお聞きすると
「福島県の活性化です。企業活動や観光、農業などを、写真という手法を使って支援していくことです。」

と、これまた明快なお答えでした。
 最後の、以前の歯科技工士としての仕事の経験は、「細部へのこだわりと納期の厳守」に生かされているそうです。

起業にあたって、どれだけ「志」や「理念」が大切なのか、改めて教えていただいたようなインタビューでした。これからも、福島県の素晴らしさを、ここで生まれ育った生活者の視点から発信しつづけていただきたいと語っておられました。
なお、佐久間さんの写真は、フェイスブックで公開されております。



写道家 朔丸

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