室井栄蔵商店

起業家紹介【室井栄蔵商店 代表 室井 秀和】

ITよろず引受人のモチベーションは「求めに応える」こと。





2代続いた燃料店に生まれ、マンガ家に憧れた少年時代。

 郡山市堂前町は、名前が示すように、馬頭観音を奉るお“堂”がある市内最古の名刹『高嶽山 如寶寺(こうがくさん・にょほうじ)』の“前”にある“町”です。寺と町が向かい合う麓山通りは、明治13-14年、明治天皇の行幸を機に、『如寶寺』と、安積開拓発祥の地『開成舘』を東西に結んでつくられ、郡山の主要道路になりました。『如寶寺』は、今でも、1月6-7日の《七日堂まいり》などの祭事には賑わいを見せますが、堂前町にも、麓山通りにも、往時の活気はありません。室井秀和さんの実家は、戦後間もなく、その堂前町の一角で室井さんの曾祖父が開業した燃料店『室井栄蔵商店』です。室井さんがまだ幼い頃、両親が離婚。室井さんが物心ついたときには、母親は東京の美容学校で学んでいて、のちに郡山へ戻りますが、寂れつつある堂前町ではない別のところで美容室を開業します。室井さんは、生まれたときにはもう亡くなっていた曾祖父の写真を見ながら、曾祖母、祖父母の愛情を一身に受けて育ちます。「同居はしていなかったけれど、母にも大事にされていたし、叔母(母の姉)や、美容室のスタッフである洋子さんも可愛がってくれました。叔母の家族とは、夏休みや冬休み、いろいろなイベント事のときには、いつも一緒でした。父親のいないひとりっ子ですが、“ひとつ屋根”を超えた〈家族と、家族同様の人たち〉に見守られて育ちました。ですから、その〈家族と、家族同様の人たち〉が、私のアイデンティティーのありかであり、今回の起業にとっても、とても意味のある存在なのです」と、かみしめるような口調の室井さん。子供の頃はマンガ家になりたかったそうです。高卒後、東京の美術系の専門学校へ進みますが、曾祖母の入院をきっかけに、郡山へ戻って燃料店を手伝い始めます。



あえて最もイヤな仕事を選んで、飛び込み営業を。

──ふつうなら、その時点で、3代目誕生決定ですよね。

口に出して言われたことは一度もありませんでしたが、継いでほしいという祖父の気持ちは感じていたました。でも、学校と、家業の手伝い以外の経験がないことに、このままでよいのかとも考え始めていたのです。当時、最もやりたくない仕事は営業でした。しかし、家業を継ぐにしろ継がないにしろ、「営業はやりたくない」ではすまないだろうと…。そこで、当時の彼女が群馬県の大学に進学するかもしれない、という不純な理由もあって(笑)、太田市で営業拠点を起ち上げるという人材会社『株式会社リクルートHRマーケティング(現:株式会社リクルートジョブズ)』へ応募したところ、受かってしまいました。顧客ゼロの新規営業拠点で、100%飛び込み営業の市場開発部…(笑)。

──名高い『リクルート』の営業(笑)。よく決断されましたね。

美術系の専門学校へ進んだのも、高校の先生が勧めてくれたからですし、本気でマンガ家になりたかったのかどうか…。何が何でもやりたい、という仕事はありませんでした。家業の燃料店にしても、「家族が望むのなら」という気持ちでした。そういう自分を吹っ切りたかったのかも知れません。でも、そういうところは、実は今でもあります。何かをするほとんどの理由が、「求められたから」です。



高崎太田から郡山へ戻った2年後に東日本大震災。

 

──その人材会社で、目覚ましい営業成績をあげていたにもかかわらず、3年足らずで辞めて、郡山へ戻ってこられたのは、なぜですか?

ご存じだと思いますが、『リクルート』グループには、人の新陳代謝を促すカルチャーと、“卒業資金”などの具体的な制度があります。私も、ごく自然な流れで辞めました。

──郡山へ戻って2年後に東日本大震災ですね。

はい。再び燃料店を手伝うようになったのですが、なにしろ、昔からのお客さん、つまり年配のお客さんが多かったので、震災以前から、お客さんは減少傾向でした。まあ、薪とか、石炭とか、練炭とか、豆炭とかの需要が激減した燃料店という商い自体が、昔ながらのままでは立ちゆかなくなりつつありました。そこへ東日本大震災と福島原発の事故です。

──どうなさったのですか?

しばらくは頑張っていたのですが、結局、遠方のお客さんは大手の同業に引き受けてもらい、祖父母だけでやっていける近場のお客さんだけを残して、私は、別の仕事をすることにしました。勤めるようになってからも、帰宅後や休日には手伝っていましたが…。



ズブの素人が、イチから学んで結果を出せた理由。

 

──2015年に就職された『株式会社ウェブレッジ』のホームページを見ると、「ITサービスやシステムの価値を向上し、売上向上や事業機会の創出、コスト削減に寄与」、「サービス品質検証とシステム品質検証の2側面から支援」云々とあります。
バグチェックとか、ソフトウエアやホームページとかの品質検証にお詳しいんですか?

全然、まったく(笑)。さっき、最もやりたくない仕事は営業だと言いましたが、2番目がIT関連でした(笑)。先輩にイチから教えてもらいながら覚えました。そんな私が残れたのは、「技術的には極めて優秀なのに、意外とコミュニケーションをとるのが苦手」というタイプの人が、たまたまですが多かったからだと思います。チームでやる仕事ですからね。私が橋渡し役というか、まとめ役になれた、ということでしょうね。チームのメンバー選定を任されるようになり、「『三国志』の劉備のよう」と褒められたり、「人の良さを取ったら、ただのポンコツ」とからかわれたり…(笑)。



周りの人に助けられてこそ、苦手なことが克服できた。

──2018年、『株式会社benefic』へ転職されました。室井さんはそこで、IT事業部をつくっておられますね。本当に「2番目にやりたくない仕事がIT関連」だったのですか?(笑)

(笑)『株式会社ウェブレッジ』では、やり切った感があったと思います。そんなとき、「アドバイザーとして」と声を掛けてくれたのが、『株式会社benefic』の代表取締役を務める友人だったのです。

──同社は、『日本大学 工学部』キャンパス内の『郡山地域テクノポリスものづくりインキュベーションセンター』にラボがありますね。インキュベーション、すなわち起業支援のための施設ですが、起業の内容は何だったのですか?

友人は、ITを活用した農業をやりたかったらしいのですが、開発にお金が掛かりすぎることもあって、進んでいなかったのです。何か別のテーマはないかということで…。しかし、祖父の急な入院やら、それに伴う燃料店廃業のあれやこれやで、1年足らずで辞めざるを得なくなりました。

──家業の燃料店を除けば、室井さんのキャリアは、やりたくない仕事のベスト1と2、ということになります。「好きこそものの上手なれ」とは限らない…(笑)。

ずいぶん周りの人に助けられてきたと思います。イヤなことを克服したい、求められることに応えたいと思ってやってきましたが、未だにこれといって胸を張れるようなビジョンもありません。しかし、いま私が、曲がりなりにも求めに応えることができているとすれば、それは紛れもなく、あえてイヤなことをやってきたおかげであることだけは確かです。



祖父が出ない声を振り絞って「頑張ってこい!」と。

 

──起業の業務内容は、「ホームページ・Webアプリ制作/名刺・フライヤー制作/新規事業支援/クラウドファンディングのサポート/営業セミナー/営業代行」──燃料店のほうは、もう完全に廃業されたのですね。にもかかわらず、なぜ『室井栄蔵商店』なのですか?

求められることをやっていたら、こういうメニューになってしまいました。3年先、5年先、何をしているか自分でも分かりません。ただひとつ分かっているのは、何をしているにせよ、祖父と祖母が生きているあいだは、『室井栄蔵商店』の名を使い続ける、ということです。どうしても『室井栄蔵商店』の名を使えない事業が生じたら、それは別会社をつくって対応します。あるとき、出かける間際に、ドレッシングを取り上げている新聞記事と、『室井栄蔵商店』の名を記した私の名刺を祖父に見せました。祖父は、うれしそうに、あまり出なくなった声を振り絞って、「頑張ってこい!」と言ってくれました。私の起業の目的は、ある意味、そのとき達成したのかも知れません。

──ドレッシングというのは?

今はもう廃業してしまったとんかつの名店で使っていた自家製マヨネーズを、オリジナル・メニューで製造した[まじっぱね]というネーミングの復刻版です。「ぜひ商品化して、恩返ししたい」という元従業員さんからご相談を受け、創業補助金の制度を利用して製造しました。制度の関係で『室井栄蔵商店』が製造元になっていますが、制度の期限が2021年2月までなので、『室井栄蔵商店』としては、とりあえず立ち上げのお手伝いのみということになります。その先をどうされるかは、まだ決まっていませんが、基本的には、「お客様からのご相談があれば、この先も喜んでお手伝いします!」というスタンスです。これからも、求められることに応えることで、実績と信頼を築いていきたいです。



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室井栄蔵商店

〒963-8877 福島県郡山市堂前町20-22

TEL:024-905-4043

Mobile:050-3044-3239

Mail:muroi.syouten@gmail.com

代表
室井 秀和

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